第41回 ヒカルド

オレ流超人批評
スポンサーリンク
正義と悪の2面性を持つ多重人格超人! 内に秘めた残虐性は、はたして悪行の血がなせるものなのか?
出身ヒカルド
超人強度118万パワー
必殺技トーチャー・スラッシュ
ズッファーラ
アラーニャクラッチ
イグアス・ロック
主な戦績魔天楼○
ジェイド○
キン肉万太郎●

 ウォーズマン、バッファローマン、ザ・ニンジャ、アシュラマン、ネプチューンマン。彼らは悪行超人(残虐・悪魔・完璧)から正義超人への華麗な転身を果たした面々です。このように『キン肉マン』という作品では、敵対していたキャラが改心して味方になり、さらなる大きな悪に対峙するという少年マンガ特有の特徴がありました。

 読み手は「あの強敵が今度は仲間に!」という、ベタながらも夢のある展開に心躍らせたものです。いってみれば、キャラクターの根底には性善説がながれており、人間(超人)、理解しあえれば仲良くなれるんだよ、というメッセージがそこには存在していました。

 しかしそんな作品の特徴を揺るがすようなキャラクターが突如として出現します。それがこのヒカルドという超人でした。彼は“正義超人のもとで修行をした悪行超人”という、ねじれ国会で悩む与党(2008年6月現在)も真っ青になるような矛盾した設定を持っており、この作品において「正義とは?」「悪とは?」という命題に一石を投じたキャラでした。今回はそんな彼が置かれた複雑な立場を考察していきたいと思います。

 彼は復活した超人オリンピック『超人オリンピック・ザ・レザレクション』にて初登場しました。その風貌はまさに“特撮ヒーロー物”のそれであり、それだけで一目置かれるキャラだったと思います。初見で「あ、これはダークホースっぽいな」という予感がしましたし、しかも相手がウドの大木を地でいくような魔天楼であったため、その自信が確信に変わりました(笑)。

 そのファイトスタイルはブラジリアン柔術をベースにしたタックル&関節技攻撃であり、“サブミッション・アーティスト”という異名を得るほどのグラウンドテクニックが特徴です。しかしこれはあくまで“正義超人”としての表の顔であり、その裏には凶悪な“悪行超人”としての本性が潜んでいました。魔天楼に快勝した後に顔の一部が剥がれ落ち、その伏線が張られたわけですが、その1コマで「あらら…こりゃジェイド負けたな」と思いましたもん。嫌だったけど(泣)。

 そんな彼が本性を全開させたのがそのジェイド戦です。一進一退の攻防の最中、ゆで先生お得意のオーバーボディが剥がれ落ち、その怪異な姿(ハラボテ談)を現します。それを境に彼のファイトスタイルはクリーンな関節技から残虐な殺法をプラスした悪行スタイルに一気に豹変し、哀れジェイド、スカーフェイス戦に続いて貧乏クジを引いてしまう結果になってしまいました。

 これによって彼は“サブミッション・アーティスト”と“ロード・オブ・ダークネス(暗黒の主)”とい2つの異名を持つこととなり、“多重人格マルチプル超人”として認知されたわけです。

 といいつつ、過去にもこのような2面性を持つ超人は存在しました。キン肉マンゼブラもそうでしたし、マッドネスマスクを装着したスカーフェイスもそうです。同様に彼を単なるジキルとハイド的な超人と切り捨てるのも可能なのですが、彼の2面性の精神構造はもっと深いところにあるわけです。

 というのも、彼はあくまで自身を“正義超人”と認識しているんですね。悪行の血を引いていながらも正義超人に学び、関節技のおもしろさに目覚め、いつしか自分が悪行超人出身であることを忘れてしまったと。そのため15年間会っていない両親が死んだと聞いても、悲しみがわきあがらなかったと。

 そのほかキン肉万太郎戦においても“ロード・オブ・ダークネス”バージョンを封印してクリーンなファイトを心がけようとしたり、暗黒化した後でも友情パワーの存在を否定していません。その行動や思想に、正義超人たりえようとする意思が感じられるんです。

 確かに彼の本性には残虐でズル賢い悪行超人の一面が見られます。敬愛すべき師匠をその手にかけているし、ジェイドの試合放棄を知らせるタオルに気づかず、止めをさしてしまったと言い訳めいたことも言っています。

 しかし彼の心の中では自分の中に潜む悪行の血と、正義超人として存在したい願望が常にせめぎあっており、それに打ち勝って正義超人でいたいと願っていることは真実だと思うのです。そういった点から判断すると、彼はれっきとした正義超人だとオレは思うんですよね~。彼の“正義超人でありたい”という思い、それだけで十分その資格があると思うんですよ。正義と悪との狭間で葛藤する姿も、それを証明していると思うんです。万太郎戦にて彼は

ヒカルド
ヒカルド

そうさ、オレは悪行超人の両親の元に生まれたため、いくらクリーンでフェアなヒカルドでいようとしても一度血を見てしまうと“ロード・オブ・ダークネス(暗黒の主)”バージョンのヒカルドにスイッチが入ってしまい、どうしようもなく相手を血祭りにあげなきゃおさまらなくなっちまうんだ!

と、その本性を激白しています。

 これを「やはり悪は悪」と捉えることもできますが、オレにはこれが「正義超人でありたいのにままならない」という彼の悲痛な叫びと感じるんです。どうにもならない自分自身の苦しみに対して助けを求めているというか。

 思うに彼がこのように中途半端な精神状態になってしまったのは、彼に対する周りの無神経な仕打ちが原因だと思うんです。いや、人種差別といってもいいかもしれません。彼が悪行超人の血を引くからといって、その志を否定するのはいかがなものでしょうか。その一言一言が、正義超人でありたい彼を傷つけてはいなかったでしょうか。例えば

ブロッケンJr.
ブロッケンJr.

正義超人の手ほどきを受けているがその体の中にはドス黒く冷たいものが脈々と流れている

と指摘するブロッケンJr.。例えば

ジェイド
ジェイド

親を親とも思わないやつに正義超人は名乗らせねえ

と、己の道徳をゴリ押しして相手を貶めるジェイド。例えば

パシャンゴ
パシャンゴ

忌まわしい正体を知ってしまったからには正義超人として主を倒さねばならん!

と、話も聞かず襲いかかってくるパシャンゴ師匠。

 これらの心ない彼への言葉や差別が、彼の人格を歪ませてはいなかったでしょうか。“悪行はどうあっても悪行”という理論がもし成り立つならば、冒頭に紹介した超人たちはどうなのでしょうか。なぜ彼・ヒカルドだけ、性善説ではなく性悪説で捉えられなければいけないのでしょうか。

 この扱いの悪さはあまりにも彼にとって不憫です。ひょっとしたら前者は少年誌なので性善説、後者は青年誌なので性悪説と、ゆで先生の作風がシフトしたのかもしれません。実際アシュラマンもネプチューンマンも、『キン肉マンⅡ世』においては悪行にもどってますからね。

 考えようによっては、この差別によって正義超人サイドは実力あふれる逸材を、みすみす手放し、追いやってしまったのかもしれません。血統のみで人格を判断し、迫害するという融通の利かなさは、いくら正義超人といえども美しいものではないと感じてしまいました。正義超人だからこそ、彼の“正義超人でありたい願望”を汲み取って接し、諭し、少しずつ心の葛藤を紐解いてあげるべきではなかったのでしょうか。

 万太郎に敗れたあと、彼は悪行超人として悪行超人道に邁進することを決めます。あれだけ正義超人として存在したかったのに、自分の血統を覆せずに悪に進まざるをえなくなった悲しさ。そんな彼には申し訳ないなあという同情の気持ちしか浮かんできませんね…まあ、このマンガは正義超人化すると弱くなっちゃうから、考えようによってはこれでよかったのかもしれませんけどね(苦笑)。

※今回は怪僧ラスプーチンさん、三浦さんほか、たくさんの方からリクエストをいただきました。ありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました