FILE.18-2 ファミリーコンピュータ その2

オレ流80's
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80年代のオモチャを超えた家庭用ゲーム機

 80年代半ばから後半にかけては、バブル経済が発展していくのとリンクしていくように、ファミコン文化も成熟していきました。その成熟というのはハード的、ソフト的な進化ももちろんですが、日本の風俗・文化という領域において、“ファミコン”というサブカルチャーが、一般認知されていった点がとても印象的であり、文化史的にも興味深いところです。

 そういった点で一番顕著だったのが、ファミコンが子どものおもちゃとしてのカテゴリーを脱して、社会人層にも受け入れられた点です。身近な例ですと、子どもにせがまれてファミコンを購入してきたお父さんが逆にハマる、というような現象でしょうか(笑)。

「うちの父ちゃん、毎晩『スーマリ』やってるよ」みたいな。個人的には「ゲームに理解がある親でうらやましいな」と思いましたね。うちの親父は「ピコピコピコピコ、そんなもん何が楽しいんだ」と、一喝するタイプでしたから(苦笑)。

 そんな身近な例もありますが、社会認知度アップで大きく影響力があったのは、文化人、芸能人といった著名人層がファミコンに飛びつき、それにハマっていることを世間に発信したことです。有名どころではのちに『MOTHER』を製作することになる糸井重里でしょうか。その他アイドルやミュージシャンがプレイヤーとしてのカミングアウトをすることにより、ファミコンは幅広い年齢層が受け入れた文化としての基盤を固めていったのです。

 年々そんな勢いでブームは加熱していくので、ゴリゴリのコアユーザー層であった私は、毎年のようにその加熱具合を肌で感じることができましたね。それは新聞の記事であったり、マスメディアの特集記事であったり、広告であったりと、身の回りで触れる様々なものに、ファミコンが絡んでくるというイメージです。

▲ゲームとはかすりもしないジャンルの脱臭剤でさえ、この乗っかりよう(笑)

 それこそ猫も杓子もファミコンと関連づけたマーケティングをしていたように思います。とにかく「商品を買うとファミコンソフトプレゼント」的な企画が山ほどあった記憶がありますね。それくらい商品を買わせる“餌”としては、効果抜群のアイテムだったのでしょう。「ファミコンが当たるからこっちがいい」なんて子どもに押し切られるお母さんの姿が目に浮かぶようです(笑)。

 また、ブームを象徴するものとして一番印象的なのが、各地で行われたゲーム大会です。それは地元のおもちゃ屋が主催するミニマムなものから、広告代理店が企画する大々的なものまで、いろいろありましたね。

 一番有名なのは、ソフト会社のハドソンが主催し、ある時期まで毎年行われていた『ハドソン全国キャラバン』でしょうか。おそらく開催された同種イベント規模では最大だと思われ、同社指定のシューティングゲーム『スターフォース』や『スターソルジャー』等を使ったハイスコア合戦が全国各地を巡回して行われていました。

▲壮観な眺めですね。でも誰もハドソン渾身のジョイスティックは使わない(笑)

 個人的にはあまり興味はなかった(もういい年だったし、そもそもシューティング下手(笑))のですが、その熱気と盛り上がり具合は、ファミコンが世の中を席巻していることを如実に物語っていたといえるでしょう。そういった雰囲気というのは、参加をしていなくてもビンビンに感じましたし、肯定的な目で見ていましたね。ちびっ子が楽しそうに盛り上がっていたので(笑)。

 このキャラバンの象徴として外すことができないのが、高橋名人の存在でしょう。その正体はハドソンの広報の方だったらしいのですが、16連射という必殺性のギミックと、ずんぐりした体格からでる愛嬌で、瞬く間に子どもたちのアイドルとなりました。いわばゲーム業界のスポークスマン、もしくはアイコンとして、世間に大きな影響を与えたわけです。

 この“全国キャラバン”や“名人”という戦略は誰が考えたのかはわかりませんが、秀逸なアイデアだったと思いますよ。イベントを主催することで、当然公式指定ソフトの売上本数は上がるし、当時は「ゲームがうまい=神様」という公式が成立したので(笑)、そんなカリスマを作ることで宣伝効果を上げ、これまた売上本数を上げていく。また、イベント等の司会をこの“名人”にさせることで、集客力やマスメディアに対する露出も相乗的に上がっていくという効果をもたらしました。

▲とにかくいろいろなメディアから引っ張りだこだった高橋名人

 それだけに、他メーカーからも様々な名人が誕生し、一時期は雨後の筍のごとく名人が乱立した時期もありました。ただ広報の人だったら誰でもいいというわけではなくて、明らかにやらされ感満載な名人もいましたね(苦笑)。根本的にゲームがうまくない名人もいましたし。その辺は子ども心に真贋を見極めていましたね。意外と子ども、厳しいです(苦笑)。

 でもね、この“名人”というフレーズは本当に秀逸だったと思います。なんかこう、マンガチックな夢があるじゃないですか(笑)。ゲームにもいたんだ、名人が、みたいな(笑)。このあたりのニュアンスが、がっちりと子どものハートをとらえたんでしょうね。平和だなあ(笑)。

 でもそういうほのぼのとした雰囲気が個人的には大好きです。80年代後半というのは、そういったワクワクさせる盛り上がりというものが、毎年のようにスパイラルアップしていったという実感があります。やはりサブカルチャーが元気だと、世の中が明るいという相関性を感じますね。そんなことで、ファミコンの思い出はその3に続きます。

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