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第二節 読者還元へ 〜読者参加企画・イベント〜

 1993年(平成5年)7月28日、東京ドームプリズムホールにおいて、19日間にわたって『週刊少年ジャンプ創刊25周年特別企画ジャンプマルチワールド』が開催された(図34)。場内は10のブースに分かれ、歴代ヒーローの映像展示、カラー原稿展示、バーチャルリアリティーゲーム、パソコンランド、キャラクターグッズコーナーなど、かなり大がかりなものであった。13社を数えるスポンサーが協賛・協力をしたが、広告収入もままならなかった創刊時のことを考えると、この25年間で『ジャンプ』がいかに成長し、媒体としての強さが認識されたのかがよくわかる。

 このようなイベントは、部数増とともに増えた宣伝費は読者還元に使うべきである、という理念から生まれている。1970年代後半〜80年代前半にかけては「愛読者賞」いう、人気マンガコンクールと読者感想文を合わせたイベントが行われた。これは読者が選んだ人気マンガ家10人が1作ずづ読切マンガを描き、読者の評価によってランクづけするもので、その際に読者から感想文を募集する。その選考で選ばれた読者が、コンクール上位のマンガ家と海外へ行くというものであった。

 80年代中期から行われているのが、「ジャンプアニメフェスティバル」「ジャンプアニメカーニバル」などであり、どちらも『ジャンプ』マンガから2タイトルほどをオリジナルアニメ化し、ゲストに人気マンガ家を伴って全国を巡って上映していくものであった(図35)。

 1990年(平成2年)には、雑誌としては初めてF−1にスポンサーとして参加した(図36)。フジテレビの中継で若者を中心に人気が上昇していたF−1に目をつけ、グラビアページの特集やF−1マンガなどで読者の興味に応えようとした。「少年漫画の歴史の中で、今は、スポーツヒーローのいない時代。スポーツ漫画が寂しい中でF−1にであった。編集方針の“友情・努力・勝利”にふさわしく、一番強いチームと組んでみたかった〔1990年産経新聞3月17日夕刊付け〕と理由を述べているが、70年代の『サーキットの狼』(池沢さとし)の時のスーパーカーブームとは違い、F−1は『ジャンプ』からブームになったものではない。それは安易に流行には乗らないはずの『ジャンプ』らしくもない企画であり、それほどいい結果を残せずに終わってしまった。企画としてはスケールの大きい、夢のある企画であったが、いかんせん後手からのものだっただけに、もしF−1ブームがくる少し前に特集を組み、ブームの先駆けとなっていれば、大成功を収めていたかもしれない。

 1992年(平成4年)には、ノーベル賞受賞者の特別寄稿による『21世紀の天才たちへ』が約1年間ほど掲載された。この企画は格闘マンガやギャグマンガ中心の『ジャンプ』においては異色な企画であった。後藤広喜前編集長は「地球はいま、環境問題などさまざまな危機に直面しています。この時に21世紀を担う少年少女たちへどんな夢を託したいか、科学部門の受賞者に語ってもらいました」〔1992年毎日新聞10月20日付け〕と、企画の意図を話している(図37)。

 そして1993年(平成5年)には『ジャンプマルチワールド』の開催。1994年(平成6年)には『アニメカーニバル』と同系統の『ジャンプスーパーアニメツアー』(図35参照)が全国で展開された。翌1995年(平成7年)からは格闘技にスポットを当てている。このようにこれからも『ジャンプ』主催イベントは読者参加型を中心にして展開されるだろう。読者と直接接する機会を持つということは、宣伝費の読者還元につながるだけでなく、読者からのフィードバックを得られるということで、これから雑誌を運営していく上で有意義なことになるのである。

 

 

 

 

 

  

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