リトルリーグの思い出

 オレは小さい頃から野球が好きで(今はそうでもない)、小学生にあがった当時は友人とゴムボール野球ばかりして遊んでました。

 しかしゴムボールではあきたらず、本格的な野球がやりたい!と三年生の頃思うようになり、引越しを期にその新しい土地のリトルリーグに入ることにしました。キチンとしたユニフォームに身を包み、硬式ボールや金属バットを使い、ベースもクッションが入っている本格的な環境の中プレイができるかと思うと、頭の中の「四番・ピッチャーアキラくん」みたいな、かなり自分勝手で飛躍した想像は大きくなるばかりでした。

 ここで詳しく説明しておくと、「リトルリーグ」という機構は小学生を対象とした、硬式ボールを扱う全国的な野球連盟です。簡単に言うと「かなり本格的な野球少年を育てる」という機構であり、街中の学校単位でやっている、軟式ボールを扱う野球チームとはちと違います。

 さて、胸躍らせて入団テストに挑んだ(テストがあったんだよ!生意気にも)オレ。遠投とかキャッチボールとかピッチングテストとかバッティングテストがあったと記憶しています。当時オレは、ボールを投げるときは横からサイドスローの要領で投げていました。まさしく「オレ流」(笑)です。
 ところがここで注意を受けます。

「なるべく上から投げよう」

 そんなこと突然いわれても困ります。オレは「オレ流」で投げるからこそ、球がストライクゾーンにいくのです。それを無理やりオーバースローに矯正させられても、コントロールが定まるはずありません。しかもこれはテストなのに・・・。大暴投の連発です。著しく自尊心が傷つきました。「もっとうまく投げられるはずなのに・・・」

 このあたりから話があやしくなってきます。一応テストは合格しました(落ちる人いないんじゃないかな・・・)。気をとりなおしてさあ、初練習です。頭の中では試合で大活躍している自分がイメージされ、実力のインフレーションが進みまくっています。ところが・・・

三年生は体ができるまでボールはさわらせないぞ

は?いきなりなんですか?このコーチは。耳を疑ったのですが、初練習ということもあり、黙って指示に従いました。

「じゃあ輪になって、一人腕立て10回ずつ」

あの〜、15人くらいいるんですけど・・・という突っ込みはとてもできずに、練習は始まりました。

「イチ、ニイ、サン、シイ・・・・」

掛け声は続きます。一人10回で15人いるから、トータル150回です。ヘトヘトです。

「じゃあ、つぎは腹筋10回ずつ」

・・・。

「次は背筋・・・」

延々と続きます。オレはたしか野球をしにきたのでは・・・?違ったっけ?自分に自信がなくなってきました

 結局この日は基礎トレーニングに従事し、ボールはさわらせてもらえませんでした。すぐに試合ができると思っていたオレは、このギャップに愕然とします。しかし自分から「入団したい」と親にいった手前、たった一回の練習で辛かったからといって「もうやめたい」では、子供心に「カッコ悪すぎ!」と思ったので、我慢して毎週日曜日と祝祭日、朝から通い続けました。

 あいかわらず練習は基礎体力づくりに従事させられ、苦しい練習が続きました。たまにキャッチボールとかをさせてくれるのですが、比率的には基礎体力8、器具を使った練習2といったところでした。だんだん練習に参加することにストレスを感じるようになりました。土曜の夜がものすごく憂鬱なのです。「オレたちひょうきん族」が終わりに近づくと、ため息が「はぁぁぁぁ〜」。「明日はリトルかよ」ってな感じです。

 リトルリーグにストレスを感じる理由はもう一つありました。監督・コーチがおっかなすぎるのです。こういうチームに参加する監督やコーチというのは、地元の野球ずきなオッサンがボランティアでやっているのだと思うのだが、いかんせん面子が強力でした。まず総監督。この人はたまにしか来なかったのだが、車が到着するだけでみんなの緊張が「ビビッ!」と走るくらい、おっかない人でした。

「ソーカン(総監督)がきたっ!」

あたふた、あたふた、てなもんです。

 うちのチームは練習中は声を出しつづけなければいけない(気分を高揚させるためか?)ので、

「バチコオオオ〜イ(バッター来いの意)」
「ヘイヘ〜イ(意味不明)」

とかわめいているのですが、当然誰かがボールをキャッチすれば取り方のうまさはどうであれ

「ナイキャアアッッチ(ナイスキャッチの意)」

とかいって盛り上げるわけです。なかば規則のようなこのセリフなのですが、ソーカンにかかると、 「今のがナイスキャッチか?」なんて怒鳴られたりします。規則化しているセリフに突っ込みをいれられても困ります。とにかくヤ○ザみたいな人でした。

 監督(ソーカンではない)は隻眼でした。たぶん本当はやさしい人だったと思います。おそらく事故か病気かでそうなったのでしょうが、その黒目がない目は、小さい子供にとってはかなりの迫力で、おっかなかったです。身体的な負傷個所でイメージを固定するのはよくないことですが、なにぶん子供だったので。

 コーチ陣も一人としてやさしそうな人はいませんでした。みんなおっかなかったです。オレはあるコーチAに素振りをみてもらったときに、

「もっとバットを短くもって、コンパクトに振るんだ!」

と注意され、そのようにして練習していたら、今度は違うコーチB

「そんなに縮こまって振っちゃいかん!もう少し長くバットをもって思いっきりいけ」

なーんていってくるので、

「どっちだよ!」

と突っ込みをいれることもできず、コーチAが近くにいるときはコンパクトに、コーチBがいるときは思いっきりと、いらん気をつかったりしていました。

 まるでトラの穴のようなチームでしたが、学年があがるにつれ徐々に野球らしい練習ができるようになりました。しかしこの頃には昔思い描いていたような「エースで四番」幻想はまったく影をひそめ、毎週ストレスを感じながら、ただひたすらスパルタ野球練習にいそしんでいたのです。

 こんな生活を小3〜小6まで続けました。なんでやめなかったんだろね。というか、やめられなかったんだよな。

 ひとつはさっきもいいましたが、「オレから入団を希望した」という自尊心からです。もうひとつは・・・これも自尊心ですが、やめたら他のチームメイトに「ヘタレ」と思われるのが嫌だったからだと思います。うちのチームの連中は、練習をたまたま一回休んだ(例えば法事とかでも)だけで「なんでこの前休んだんだよ」的な攻撃をしてくるのです。つまり根性なしのレッテルを貼られるわけです。オレが一度真剣に悩んだのは、夏に二泊三日くらいの合宿があるのですが、偶然家族旅行の日程とかちあってしまったときです。どうしようかと悩んでいるときに(もちろん行きたいのは家族旅行の方)、あるコーチがまたひどいことをいうわけです。

合宿いかないやつは、やめさせるぞ〜

 当人としてはささいな脅しであり、冗談だったのだと思いますが、オレは真剣です。

「えっ?合宿いかないとやめさせられちゃうの?」

今考えればこれを口実にやめられる、ラッキー!なーんて思うのですが、当時は純粋だったからかなり悩みました。小さな胸を痛めつつ、罪悪感を背負って家族旅行にいったりしました。嗚呼、なんて涙ぐましいんだろ、オレったら。

 いろいろありましたが、中学に進学し、部活をやるという口実で晴れてやめることができました。ここでやめなかったらシニアリーグという、リトルの中学校バージョンまで進んでいたかもしれません。危ない、危ない。

 ここまでマイナス面ばかり語ってきましたが、一応フォローもいれときます。ストレスを感じながら練習をしていたのは確かですが、リトルには学校以外の友達(つまり他学区の学校の子)もたくさんできたし、笑える事件も多かったし、なにより根性ついたし、いい面も多々あったと思います。

 練習も基礎ができてないと使い物にならんし、ちとスパルタ過ぎではあったが、ああいう基礎練習は大事なんだよなあと、今になってみると理解できます。でもやっぱり辛かったなあ。

 

                            (2003年11月15日)

 

 

 

 

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