古河マラソン大会

 

 うちの高校には毎年一回、「古河マラソン(通称“古河マラ”)」というイベントがあった。これはその名のとおり、古河までマラソンするぞ! というイベントである。ちなみに古河というのは、埼玉と栃木と茨城の境という、微妙な位置にある町である(正式には茨城県)。

 このイベントはうちの高校のイベントの中でもかなり大掛かりなものであり、警察や父母、地域の皆さん総動員という感じのものであった。白バイが先導したり、各チェックポイントの学校に父母がテントを設けて待機したり、コース沿道では地元の人々が応援にかけつけたり、といった感じである。

 ただこの古河マラ、人間の常軌を逸しているというか、なんというか…かなりむちゃくちゃなイベントであった。とにかく走る距離がハンパじゃないのである。スタートはうちの高校なのだが、その地点が埼玉は浦和。ゴールは古河。その距離およそ50キロ。フルマラソンより長い。浦和〜岩槻〜久喜〜白岡〜幸手〜栗橋〜古河というコースを、8時間以内(7時間だったかな?)という時間制限を設けて走るのである。歩いてもよいのであるが、歩きばかりだと確実に時間内にチェックポイントを通過できない。

 高1で完走したときの感想(シャレではない)は、とにかく「死んだ」である。挑戦する前は「走り疲れたら歩いて回復すればいいんだろ? 楽勝だぜ」と吹いていた。体力にも多少自信があったのだ。

 しかし半分を過ぎた地点の幸手あたりから足が硬直し、マメはつぶれ、歩くのもしんどくなった。歩くのがキツイというほどの疲労は、生まれて初めての経験だった。栗橋〜古河のゴールまでは、ほとんど這いつくばりながら行った記憶がある。高2のときはモチベーションがまったくなく、タラタラやって途中でリタイヤした。ただリタイヤ時は、ジャージ姿のままで最寄の駅から電車で帰る、という辛酸をなめる。

 しかし、高3のときは少し違った。モチベーションが復活したのである。きっかけは友人長谷川くん(仮名)の一言であった。
「オレも三年間に一度くらいは完走してみてーなー」
と、ポツリとこぼしたのである。彼はいまだ完走をしたことがなかった。それを聞いたオレは、昨年の情けなさもあいまって、
「よし、高校最後の思い出に少し気合いれるか!」
と、長谷川くんと一緒に完走をめざすべく、ミーティングを開いた。オレは完走した1年のときの経験をたよりに、綿密な完走計画を練り、長谷川に伝授した。

「ポイントは後半まで体力を温存することだ。オレの経験では、後半の幸手〜栗橋〜古河間が地獄だった思い出がある。ここまでにある程度の余力を残しておけば、なんとかなる。また、幸手〜栗橋間は道が一直線で、地平線が見えるいきおいの場所だ。景色が変わらないのは思ったよりも苦痛なんだよ。走っても走っても進んでいない錯覚におちいり、精神的にダメージをおう。ウォークマンがなにかで音楽を聴いて気を紛らわすのも有効かもしれない。序盤の久喜までは、制限時間を有効に使って、走ったり歩いたりして足の疲労を極力抑えよう。

 あと、沿道の人の情報は耳にするな。『あと2キロ! がんばれ!』とかいわれるが、絶対信用しちゃだめだ。地元民の距離感覚なんて、えらいテキトーだ。オレは一年のときに、沿道のおっちゃんに『次のチェックポイントまであと何キロですか?』と苦しさのあまり聞いたことがあるが、そのときは『あと1.5キロくらいだよ、ガンバレ』といわれてがんばって走ったんだけど、なかなか着かないから、また沿道のおばちゃんに同じことを聞いたんだよ。そしたらおばちゃんは『あと2キロくらい』とかいうから、『増えてんじゃねーかよ!』と倒れそうになったことがある。とにかく信じちゃだめだ。よし、当日はなんとか二人で完走しようぜ!」

とエラソーにレクチャーするオレ。
「おう、わかった。完走しようぜ!」と長谷川くん。

 二人は燃えていた。高校最後の一大イベント。やってやる。完走してやる。

…当日、二人は半分もいかずリタイヤした。

 『計画』には一部のスキもなかったが、一番肝心な『練習』を一度もしていなかったことが敗因だったらしい。

 そこにはジャージ姿でJRに乗る、哀愁漂う二人がいた。

(2003年10月26日)

 

 

 

 

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