高速道路で八艘(はっそう)飛び

 オレは営業という職業柄、車を運転する機会が多い。それだけに何年もハンドルを握っていると、思わぬ事故にあうこともある。今回はその中でも、もっとも困った事件を紹介しよう。

 入社3年目のことである。オレはある書類を千葉方面の工場に届けねばならず、首都高6号線を常磐道方面にむけて疾走していた。

 3年目ともなると車の運転技術もだいぶ発達し、体の一部のごとく車を操れるようになっていた。しかしその慢心が招いたのであろうか、事件は起こった。

 いつものようにカセットテープで音楽を聴き、大声で歌いながら運転をしていたオレは、三郷のインターへとさしかかった。ここでは一度車を停車し、常磐道のチケットをとらねばならない。徐々に車を減速させるわけだが、オレの脳裏にはあるフレーズがよぎっていた。

悟です ボクは街中でもほとんどフットブレーキは使わないんだ。エンジンブレーキで減速して、最後に軽くフットブレーキを踏むくらいかな

 日本人初のF1レーサーである、中嶋悟の言葉・・・・だと誰かがいっていた。真偽のほどは定かではないが(笑)。要するにオレはそのフレーズに影響を受け、エンジンブレーキ減速を実践したのである。

 およそ5速100qで疾走していた営業車(マニュアル)は、4速、3速とシフトダウンをし、ヘアピンカーブを回る直前に減速するF1レーサーのイメージを抱いて調子にのったオレが2速にシフトダウンしたその時。

ばごっ

 鈍い音とともに、いままでギアを入れる度に確かな抵抗を感じていたシフトレバーから、その抵抗力が消えうせた。シフトレバーがゆるゆるになっているのである。

 その感触は、オレにギアボックスが破壊されたと理解させるのに十分なものであった。そして、二度とシフトチェンジができないために、その車がただの鉄の棺桶に成り下がったことを指し示していた。

 おそらく調子にのったオレのシフトダウンに無茶な点があったのであろうが、それよりも困ったのはこの後である。インターのチケット発券機まではあと40メートル。ブレーキを踏んで停車させないとチケットは取れない。しかし、鉄の棺桶と化したこの車は、一度止まると二度と動かない。残り数秒で、大きな決断を迫られたのである。

 パニックに陥りながらも、オレは考えた。40メートルという短い距離で必死に考えた。結論は・・・でなかった。なんとなく発券機の横で止まってしまった。

「通行券をおとりください」

 冷たい機械音がむなしくこだましていた。とりあえずチケットをとったオレは、試しにギアを1速に入れてみた。案の定入らない。というか、すでにクラッチもスカスカと、その抵抗力を完全に失っている。

 後方をみると、オレの車の後ろに何台もの後続車が数珠繋ぎになっていた。愕然としたオレは車を降り、真後ろの車のドアを叩いた。

「あの〜車が・・・故障しまして。はい・・・・・・すいませんけど押してくれませんか?」

 そのまた後ろの人にも声をかけ、3人がかりで押してもらったのである。オレはハンドル操作のために運転席へ。なんかオレが一番楽しているようで、いたたまれない気持ちになりました。

 なんとか車を左脇に止め、その後の対策を練る。つーか、どう考えても助けを呼ぶしかないっしょ。当時は携帯電話なんてなかったから、自力で電話をみつけるしかない。ふと向こうを見ると、三郷インターの管制塔があるではないか。そこなら事務員もいるだろうし、電話もあるはずだ。

 しかし・・・その管制塔へ行くには、この三郷インターを横断するしか方法がない。よりによって、一番反対方向にあるんだもんなあ!

 というわけで、三郷インター横断作戦(通称M-CROSS作戦)が敢行されたのである。発券機の陰から顔をニョキッと出して、安全をチェック。次々に車がくるから、渡るタイミングが難しいんだよな。安全が確認されたらヒョーイと飛んで次のレーンへ。また顔をニョキッとだす。この繰り返し。上り下りで各6レーンくらいあったから、12回も繰り返したんだよな・・・その恥ずかしさときたら・・・。源義経の八艘(はっそう)飛びじゃないっての!

義経の八艘飛びです。ぴょ〜んってね!

 チケットをとってる車のほうもビックリしたと思うよ。突然予想外の場所からスーツ姿の男が顔を出して、目の前を横切っていくんだから・・・。ドライバーと目があったときは開き直って

「よっ」

なんて手を上げて通過してしまった。気まずかったなあ。

 なんとか管制塔に到着したオレは公衆電話を発見し、JAFに助けを求め、この一件は落着したのでした。

(2004年4月10日)

 

 

 

 

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