もうね、説明するまでもないと思うんですけどね。80年代を代表する国民的ゲーム機ですよ。それこそ数ある80年代サブカルチャーの中でも、5本の指に入るような。ぶっちゃけ私の人生、『少年ジャンプ』とこれを外したら語れません、くらいに大きな影響を与えたアイテムです…そんなもんなのか、私の人生とは(苦笑)。

 発売は1983年(昭和58年)だったと思うのですが、小6だった私はそこまで注目していませんでした。というのも、当時はゲームウォッチやLSIゲームが主流で、それらで十分楽しめていたんですね。もちろん先行して『カセットビジョン』など、ハードにソフトが対になったゲーム機があったので(所有はしていませんでしたが)、カセットを入れ替えるだけで違うゲームができる、というシステムは理解していたのですが、熱烈な物欲は発生していませんでした。おそらく部屋のどこでも気軽にできるLSIゲームで満足していたのだと思います。

 ところが中学に上がると、友人たちの中でちらほらファミコンを所有している連中が現れ始めました。ですので家に遊びに行くと当然の如く「これおもしろいんだぜ」と薦めてくれるわけです。記憶する限り同じクラスの伊能くん(仮名:男性)の家で『ベースボール』をプレイさせてもらったのが最初だったと思います。

 まず感じたのが「色がきれい」、そして「ゲームセンターのゲームに近い」という、今までのゲームにはない描画再現性の高さでした。さらには同じ画面を見ながら対戦プレイを気軽にできるのも楽しくて、「これすごいな」「面白れえな」と思うのに時間はかかりませんでしたね。友達の家に入り浸りになるのにも時間はかかりませんでしたけど(苦笑)。

 中学のときの思い出としては、夏休みの部活動が終わった後に、仲間連中でワイワイと遊んだことを思い出します。部活が午後一から始まって、3時くらいに終わるじゃないですか。そしたら5、6人のメンツで帰りがけに内藤くん(仮名:男性)の家にお邪魔するんです。そして夕方5時くらいまでファミコン大会(笑)。完全にルーチンになっていましたね。

 彼の家にはファミコンの他にセガもあったので、もう天国ですよ(笑)。『マリオブラザーズ』で定番の殺し合いをし、『ジッピーレース』でロサンゼルスからニューヨークまで目指す。「左右どちらの分岐の方が安全なのか」とか、「燃料はどこにあるのか」とかみんなで暗記したりして。チェックポイント都市直前の、擬似3Dドライブのシーンとかも強烈に印象に残っています。「やっと着くぞ!」なんて興奮してさ。楽しかったなあ。

 

▲ベースボール

 

▲ジッピーレース

 そんな感じで心奪われていたんですが、個人的に所有するまでには至りませんでした。なぜ買わなかったのか、その理由の記憶がいまいち定かではないのですが、「これを手に入れたら生活が崩壊する」と自分なりに警鐘が鳴ったからだったと思います(笑)。手前ミソですが、当時はそれなりに学業の成績も調子がよく、そのポジションを維持する方にプライオリティを置いたんだと思いますね。我ながらたいしたもんだ(笑)。だからファミコン初の本格RPG『ドラゴンクエスト』が発売されたときは、伊能くん家でポイントポイントを鑑賞してクリアした気になっていた思い出があります。言うなれば元祖ゲーム実況ユーチューバーですよ、伊能くんは(笑)。

 しかしそんな私の自制心も徐々に効かなくなってきました。中3から受験勉強が本格化し、自分の自由な時間はほぼ勉強に費やすという生活スタイルになってきました。そうなるともういろいろストレスが溜まってきます。そのストレス解消法として出現してきたのが、「受験が終わったら自分にご褒美を上げよう」という思考でして、そのご褒美に選ばれたのが「ファミコン所有の解禁」だったわけです(笑)。基本的にファミコンはとても欲しいアイテムであったわけで、ある意味受験成功と引き換えの禁欲アイテムでした。この思考は受験へのモチベーションにもなり、「受験が終わったらファミコン、受験さえ終わればファミコン、春休みには思う存分ファミコン」という思考回路に脳内が占領されるのに時間はかかりませんでしたね(苦笑)。

 私がいかにこの「ファミコン所有の解禁」をモチベーションに高校受験を乗り切ったかを示す証拠としては、公立高校の受験が終わったその日の夕方には、地元の家電量販店でそれを購入していた、という事実があげられます(笑)。合格発表日の翌日、とかじゃないです。受験日同日の購入です(笑)。それを見ても、いかに私がそれを渇望していたかがよくわかるでしょ?

 しかも当日購入したのはファミコン本体だけでなく、ディスクシステムも同時購入するという大人買いです(笑)。シャープのツインファミコンと悩んだのですが、そもそも論でテレビにAV端子がなかった(苦笑)。ですので、RF出力の任天堂版を購入した次第です。ちなみに同時購入したソフトは『ゼルダの伝説』と『ディープダンジョン』と『スーパーマリオブラザーズ2』だったかな? たしか『スーマリ2』の裏面に『プロレス』を書き込んだ記憶があります。しかしディスクシステムばっかりだな(笑)。単価が安かったからでしょうね、きっと。

 

▲ディスクシステム

 

▲ディープダンジョン

 ホクホク顔で家に戻ってきた私は、さっそくテレビに接続を開始。しかし当時のファミコンをテレビに接続するのは、ややハードルが高いミッションでしたね。端的に言うとテレビのアンテナケーブルをファミコンのRFユニットに経由させる、という作業が必要なんですが、こういうのにうとい人には不安だけが頭をよぎります。何とか説明書を見て接続はできたのですが、2チャンネルを選択してスイッチをオンしても、画面が出てこず砂嵐。かなり焦りましたが、チャンネルのチューニングつまみを少しずつ合わせていくと…出た! 音楽も鳴ってる! とうとうボクの家にファミコンが! ってなもんで、かなり感動した記憶があります(笑)。

 それからの日々はファミコン三昧ですよ。受験が終わった3月、学校もたいした授業がない、受験勉強もする必要がない、まったくのストレスフリーな毎日。思う存分ゲームに没頭できる夢のような時間で(笑)。禁欲生活が長かった分、その反動が凄まじかったというか。学校の友達も毎日のように入り浸ってファミコン。友達が飽きたソフトを貸してくれるから、ハード購入したてでも潤沢なソフトラインナップ。本当に幸せな毎日でしたね〜。

 本当にアホくらいやっていたのですが、両親もさすがに口を出さなかったですね。「今まで相当ガマンしてきたから」という、子どもに対する“ご褒美”的な心情が強かったのでしょう。しかしこの堰を切ったような欲望中心のライフスタイルは、高校でのスタートダッシュにおいて、深刻な弊害をもたらすことになります。まさかみんな春休み中に予習とかしているとは思わなかった…(苦笑)。そんな地獄の高校時代を迎えることになるなど知る由もなく、私はサルのようにコントローラーを握りしめていました。そして思い出は後半に続く。

(2019年3月23日)

【参考資料】
・記憶する限り3月だけで私が遊んだソフト名一覧

・ゼルダの伝説
・ディープダンジョン
・スーパーマリオブラザーズ2
・プロレス
・スターラスター
・グーニーズ
・火の鳥
・ドラゴンバスター
・飛龍の拳
・謎の壁ブロック崩し
・水晶の龍

 そりゃ成績も落ちるわな(笑)。

 

 

 

 

 

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